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 ヴィンセントは、変わるかも知れない。
 いみじくも彼は発露した。固持していたとも言える殻の一画を、ともかくも崩したのだ。これがきっかけで自分を開き、状況を徐々に受け入れていくかも知れない。クラウドはそう期待した。
 しかし
「ヴィンセント、今日は午後から買い出しに行くから。つきあってくれるよな?」
「……」
「ヴィンセント、聞いてる?」
「……」
 テレビをつける。いくつかチャンネルを切り替えてみたが、聞こえてくる音声にふり向かない。
 新聞を漁る。ライターの広告があったので、目の前に広げた。
「……」
 まったく焦点を合わせない。
 確かにヴィンセントは変わった。それまで少しは意識していた外界を完全に閉ざしたのである。何物にもクラウドにも、一切反応を示さなくなっていた。

 しかし、彼の口数は以前よりむしろ増えた。
 それと言うのも
「あんただから出来るのだ。他の者ではそうはいかない」
「まったく、あんたにはかなわないな」
「あんたでもそのようなことを気にするのか?」
 『シドの話』が『シドとの話』になったからである。
「また、何を馬鹿な……。そうではない。……言わせるな」
 時に苦笑し、時にはにかみ、時にまぶしそうに笑む。
「ヴィンセント! ヴィンセントっ!!」
 彼の足許にすがり、揺すり、見上げて叫んでも、ただシドとの会話が続いていくばかりだった。

 それでもクラウドは、変わらずその間近に在り続けた。
"もうあなたでは無理よ。やっぱりそれなりの病院に預けたほうがいいと思うわ"
"このままではクラウドさんまで駄目になってしまいます。ヴィンセントさんお一人のために、すべてを棒に振るおつもりですか?"
 クラウドを案じて様子を尋ねたリーブとティファは、一様にそう言った。
 彼らの思いやりは嬉しいが、聞きたいのはそんな言葉ではない。
 ではどう言って欲しいのか。それもまたクラウドにはわからなかった。

 ロケット村の外れ、発射台から奥へ進んだ一画にシドの墓がある。
 葬儀以来近づかなかったそこを、クラウドは訪れた。
 シドが愛飲していた煙草に火をつけ、墓標に供える。
 膝を折り、正面に見据えて言った。
「なあ、そろそろはっきりしようよ。こんな中途半端なやり方、あんたらしくないじゃないか」
 風がなく、紫煙はまっすぐに立ち上っていく。
「ヴィンセントは……誰も手が届かないところに行ってしまった。呼び戻せるのはあんたしかいないんだ」
 クラウドはにじり寄り、さらに近くへ顔を寄せた。
「いいよ。帰ってこいよ」
 鼻先を煙がなぶる。その香りが、本当にシドと話しているような錯覚を起こさせた。
「文句なんて言わないさ。今更なんだよとか、ヴィンセントはずっと俺が護ってきたんだとか……そんなこと言わないから……」
 しかしやはり答える声はない。
「だから……」
 クラウドは肩を掴むように墓石の角を握りしめた。
「頼むよ、どうか……どうか戻ってきてくれ……!」
 固くて冷たい墓碑の上に涙がぱたりぱたりと落ちていった。

  家に戻ると、ヴィンセントは窓際の壁に頭をもたせて眠っていた。
 陽が傾き、部屋の中はうすら寒くなってきている。
「風邪をひくよ」
 たとえ起きていても通じないのはわかっていて告げ、毛布を取りに寝室に向かった。
 が、すぐ足を止める。ヴィンセントのほうをベッドに運んだほうが早いと思った。
 背中と足の裏に手を差し入れて抱き上げる。
 たやすく持ち上がってしまう軽さが哀しかった。
 この華奢な体で、彼は人一倍の苦しみにまっすぐ向かい合っていた。
 誰を責めることなく、誰に弁解することもなく。
 自分自身の痛みはおき、愛する者達のことを懸命に考え、精一杯の力を尽くしていた。
 そして、今また−−−
 寝室に入ったクラウドは一瞬ためらったあと、シドのベッドではなく自分が使っているほうへヴィンセントを横たえた。
 傍らに座って頬をさすり、黒髪をゆっくりと撫で下ろす。
 しばらく見つめたのち、その唇に軽く唇を重ねた。
「……」
 クラウドはベッドに上がり、ヴィンセントの顔を抱える。
 それからもう一度口づけを与えた。
 今まで彼の肌に触れることは固く自分に禁じていた。剥き出しの痛々しい生傷を蹂躙するようで許せなかったのである。
 しかし実際に触れてみると、ただ愛しさばかりがこみ上げた。
 クラウドは何度も唇を重ね、頬にも瞼にも口づけていった。
 耳を軽く噛み、首筋を伝い降りる。すると、ヴィンセントがぴくりと動いた。
「……ヴィンセント?」
 彼は目覚めていた。
 鮮やかな赤い瞳がはっきりと開いていた。
「好きだよ。ヴィンセント」
 その瞳を見つめ、クラウドはやわらかく聞かせるように言った。
「愛している。こんなに愛せるのはあんたしかいない」
 ヴィンセントの目は虚空にあるようでもあり、クラウドを見返しているようにも見えた。
「俺の全部があんたに向かってる。この目はあんたを見るためにあって、口はあんたと話すためにあって、腕はあんたを抱きしめるためにある……そう思っても全然惜しくないよ」
 ヴィンセントは変わらず目を見開いている。
「俺の……クラウド・ストライフという人間の全部で愛したい。愛したくてたまらないんだ」
 心なしかヴィンセントの口許はうっすらと笑んでいた。
「愛させてくれ……ヴィンセント」
 クラウドはヴィンセントのシャツを開き、その胸に顔を埋めた。

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