パープルダイヤモンド 第一章 ラーナ大陸四王国の一つ、オーベルニア。齢四十五になる国王マクウスは、夜半、王宮の奥まった小部屋に在った。周囲に護衛の兵も置かず、明かりはろうそくが一本ともるのみである。 そこへ、ひとりの男が案内されてきた。 立ち襟の黒い上着に黒のマント。ゆるく波打った黒髪を肩までに伸ばし、後ろで束ねている。背がすらりと高かった。 マクウスはその男をしばし眺め、伴ってきた家臣を側近くへ呼んだ。 耳許に口を寄せ、小声で尋ねる。 「あやつが、そちの言う魔道士なのか?」 「御意」 下問を受け、家臣はかしこまった。 「ずいぶんと若いではないか。まだ三十にも満たぬようだが」 「それでも、技量の高さはお伝えした通りでございます」 「世の魔道書にある魔法をすべて会得し、その上特殊な術までも操る、か。まこと、それほどの力があるものなのか」 王は首をひねる。 「確かに、優れた魔道士は老齢であるのが常。ですが、かのティーベル殿も四十そこそこで王宮魔道士になられたと聞きました」 「そうであったかも知れぬ。が、しかし……」 「何より、わたくしがこの目で見たのです。二十人近いならず者が、呪文に操られて一斉に海へ落ちる様を。あの者、リハルはまちがいなくティーベル殿に匹敵する魔道士と存じまする」 「そうか……」 王は一応の納得を見せ、家臣を退がらせた。 思い出したように男を呼び寄せ、着座を薦める。 男は長いマントを手で払い、椅子の背から流した。 「よ、よく来てくれたな。名は……そうそう、リハルであったな」 目前へと近づけた男に、王はおずおずと話しかけた。 「余がこの国の王だ。このような夜更けに呼び立ててすまなかった」 不慣れな様子で、相好を崩す。 だがリハルと云う名のその男は、王の態度に全く反応を示さない。細い眉と切れ長の目を動かしもせず、無言で王を見ている。 「そなたを港の宿で待たせた間に、色々と聞き込ませた。大陸、いや世界でも一、二を争う腕前とのこと。そなたのような魔道士を招くことが出来て、余は嬉しく思うぞ」 「……」 「そなたのことを報告してきた先程の家来には、多額の報奨を与えておいた。奴も若輩ながらなかなか目端の利く男でな。先だっても城門を修復する折に……」 「用件を聞こう」 とりとめのない話は、すっぱり断ち切られた。 王は憮然とする。が、咳払いを重ね、改めて口を開いた。 「実はな……そなたに、祟りを払ってもらいたいのだ」 「祟り?」 「そうだ」 王は頷き、ひと呼吸置いて続けた。 「このオーベルニア王家は、数年のうちに世 継ぎの王子を次々と失っていった。先日は王妃までが突然の病に倒れ、苦しみぬいて世を去った。これはすべて祟りによるものなのだ。残るは余と、まだ幼い末の王子のみ。我らが殺されたなら、隣国のイグ同様王家は滅亡だ。そうなる前に何とか食い止め、怨霊を鎮めてもらいたい」 そこまで言って、頬を震わせた。 「祟りであると……」 その王を漆黒の瞳にとらえ、リハルは言う。 「断言するからには、それなりの心あたりがあるのだな」 「……」 王は俯いた。目に困惑の色が映る。 「やはり……話さねばならぬか」 「明かしたくなければそれでもよい。押さえることも祓うことも出来ぬだけのこと」 リハルは無慈悲なほど端的に結論を放り出 した。 「……この、ラーナ大陸は……」 長い沈黙の末、王は語り始めた。 「四つもの王国が、千年を越えてともに平和を維持してきた。ところが、ここ三十年あまりで様相は一変した。ウルテアとエルベスタンの間には戦が起こり、イグでは王位を巡って王族同志が争い、王家が滅びた。 十数年前、余の兄にして当時のオーベルニア国王ユニウスは、長く争い続けるウルテアとエルベスタンに心を痛めながらも、まずはイグを再興しようと努めていた。それに対し我が妃は……エルベスタンから嫁いできた我が妃は、兄がイグをオーベルニアに統合し、増大した国力を以ってエルベスタンを攻めるつもりだと言い出した。 むろん兄は否定した。しかし妃は、毒を盛って兄を殺害したのだ」 「なるほど」 リハルは頷いた。黒い髪と黒い襟元に囲まれ、細面の白い顔がうす明りに際立つ。 「致し方なく、表向きは急な病と称して余が王位を継いだ。その一方で妃は、ティーベルと云う王宮魔道士に命じて兄の魂魄を封印させていた」 「周到なことだ。封印まで施すとは」 「ああ。それも、最も完全なる方法で」 「最も完全なる方法?」 王は沈痛な色を浮かべる。 「魂を封じ込めたものを、子供の生き血に浸すやり方だ」 リハルは初めて、その細い眉をひそめた。 「暗黒魔法だな。まともな魔道士の使う術ではない」 「生贄は兄の子供。次代の王となるべき王子であった」 「無駄なく利用したというわけか」 「言わんでくれ。哀れとは思ったが、禍根を残すわけにはいかなかった。しかし……しかしそうまでしても、兄の祟りは生じたのだ……」 リハルは首を傾げた。 「解せぬ話だな。暗黒魔法を用いて封印した霊が力を振るうなど……」 「だが現に、余は兄の笑いを聞いた。呪いの言葉を聞いたのだ。王室の血を引く者全てに尋常一様でない苦しみを与え、果てはひとり残らず冥界へ送り込むと……!」 王は身震いし、自ら抱きしめた。 「……まあいい。ともかく封印の具合を見よう。封じ込めてある物を出してくれ」 その申し出に、王は唸った。 「どうした」 リハルはいぶかしげに見る。 王は眉を寄せ、苦り切った様子で二つの宝玉を取り出し、リハルに手渡した。 それはつぶての石ほどもある、大粒のダイヤモンドだった。稀有なことに、鮮やかな紫色をしている。 「そのどちらかかも知れぬし、どちらでもないかも知れぬ」 「? どういうことだ」 「兄を封じこめたダイヤは、その後宝物蔵の 奥深くに隠し、誰の目にも触れさせなかった。ところが、兄の声を聞いて様子を確かめに行くと、それだけが忽然と消えていたのだ。 いつから失くなっていたかさえわからないが、すぐさま忠義の家来たちに命じて捜させた。すると何としたことか、同じ物が二つも見つかった。それが、そうだ」 言われてリハルは、ダイヤをわずかな光にかざした。 「家来たちは旅の商人から買い取ってきた。商人が言うには、同じような石が貴族たちの手にも渡っているそうなのだ。 いくら余が国王でも、貴族の宝に手は出せぬ。よしんば召し上げたところで、兄の石と見分ける術もない……」 王はため息をつき、頭を抱えた。四十なかばにしては、総髪に白さが目立った。 「少なくとも、この二つではないな」 リハルはあっさりと言った。 「おお、やはりそなたにはわかるのか。さすがだな」 王の感激をよそに、リハルは腕を組んで椅子の背にもたれた。 マクウスはそれをこわごわ覗き込む。 ややあって、リハルはきつい眼差しを王に向けた。 「つまり、まずは先代王が封印されているダイヤモンドを捜し出せと」 「そ、そうだ。そうなのだ」 マクウスは二度、三度と頷いた。 「わたしに、そこまで……」 「無体な頼みなのは承知の上だ。しかしそなたにすがるよりほかはない」 そして、言い訳のようにつけ加えた。 「ティーベルは封印を施したのち、職を辞してそのまま行方知れずになっている。手を尽くしたが、見つけることはかなわなかった。おそらくはもう、この世にないのだろう」 「……」 「あとの魔道士たちは皆小物だ。そこそこの働きはするが、およそこれほどの大事にあたる力はない」 王は膝に付くほど深く、頭を下げる。 「そなただけが頼りだ。リハルよ、どうか引き受けてくれ。 −−−頼む!」 そして、喉から絞り出すような声で訴えた。 「……」 リハルは、王が示した二つのダイヤを見つめた。 染めたように不自然な紫が、薄闇の中に輝き続けている。 「これをこのままにもしておけぬか……」 やがて彼は上を向き、黒い瞳をゆっくりと閉じた。 |