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第二章 一.顔のない手配書 よく晴れた午後の往来は、商人や買い物客がひっきりなしに行き交う。 それらを巧みにかわし、ディアンは石畳を駆け抜けていた。 髪は明るい茶色。彼の動きに合わせ、上下に飛びはねる。淡い緑の大きな瞳は、沖天からの陽光で鮮やかな輝きを放った。 幼さの残る顔が、すれ違う娘や婦人たちと 同じぐらいの高さにある。十六という年齢にしては小柄な方だった。手足もすんなりと細く、たくましいとは言いがたい。 走り続け、目抜き通りが終わる街角にさしかかる。賑わいが途切れたそこには、のっぺりと四角い建物があった。 小さな平屋で、入口に扉は無い。何かの貯蔵庫か倉庫に見えるが、無愛想に掲げられた『市民警察署』の看板がそれ否定していた。 勢い余って行き過ぎかけ、踵でとどまる。それを軸に体を回転させ、ひょこんと中へ 踏み込んだ。 「こんにちは署長。ご機嫌いかが」 満面の笑みを伴ったディアンの声に、中年男がぎょろりと目を向けた。大きな机を前に、丸い腹を突き出してふんぞり返っている。 「また来たのか、ろくでなし」 開いた口から葉巻の煙がもあもあと流れた。 「ひっでえの。もう少し呼びようがあるだろうに」 言いながら、机に積まれた書類をめくる。その仕草を横目で見て 「先週と変わらんよ」 と、署長と呼ばれた男は言った。 「ホント。スリのピートが三十G、食い逃げマックが七十五G、詐欺のボアンは十五Gね。しけた面々だこと」 ディアンは大仰に肩をすくめる。 「なあ、ディアン」 腹を机にこすって、署長はディアンに向き直った。 「前にも言ったが、おまえそろそろまともな職に就いたらどうだ」 「賞金稼ぎはまともな職じゃない?」 またパラパラと紙を繰る。 「何が賞金稼ぎだ、ロクな腕もないくせに。お前が捕まえるのは、本職が目もくれないかっぱらいのガキや、いんちき占い師の婆さんじゃないか」 「でも。おこぼれを拾う奴がいないと困るでしょ? 人手不足の市民警察としてはさ」 署長は苦い顔をした。 オーベルニア王国には、国民のための警察部隊がない。 ユニウス王の治世までは存在したが、次のマクウス王が『王宮警護隊』に組み込んでしまったのだ。 庶民はやむなく自分たちで警察を置いたが、もとより資金は乏しい。従って『市民警官』への手当は低く、そうそうなり手はなかった。 警官の数が少ない。事件は起こっていく。いくら逮捕しても逮捕しきれない犯罪者が、大手を振って巷をのし歩いた。 人々はせっかくの『市民警察』をあてにしなくなった。その結果、誰でもいい、捕らえてくれた人には褒賞を出す、という賞金制度が生まれたのである。 「賞金稼ぎなんざ、人間のクズだ。他人の不幸を待ってやがる」 署長は葉巻を押しつぶすように消した。 「それに。みんな高い賞金首に群がるが、そいつが極悪人とは限らん。金持ちが、自分にとって邪魔な奴をお尋ね者にしちまうこともあるからな。本当に困っている人たちは、賞金に出す金なんか無いんだ。まったく、今の王様は何を考えているんだか……」 「と、すると」 ディアンは、署長の頭を越えて壁に目をやる。 「こいつは金持ちに相当恨まれてるってことだね」 そこには一枚の手配書が貼られていた。 『盗賊。紫色のダイヤモンド専門』と大書きされている。 下の枠に『賞金五万G』、とあるが、×で消され、その上に十万Gと書き改めてある。 が、これにも×がつき二十万Gに。更にそれも三十万Gに直され、以下四十万、五十万と上書きをくり返し、現在は百五十万五千Gが有効となっていた。 「貴族たちがこぞって金を出しているんだ。現れて半年も経つし」 その手配書は、金額欄こそ訂正に次ぐ訂正でびっしり埋まっていたが、その他の事項には一切記入が無かった。 特徴、性別、年齢、名前。 人相書きの大きな四角も、見事なまでに真っ白だった。 「永久に捕まらんでも、わしらは痛くもかゆくもない」 署長は愉快そうに笑った。 「けどさ」 ディアンは机の上の手配書を押しやり、空いた処へ腰かける。 「宝石泥棒なんかいくらもいるじゃない。どうしてこいつばかりが目のかたきにされるんだろ」 「そりゃお前、盗られたものが滅多に無い貴重品だからだよ」 紫色のダイヤモンド。 それはここ数年で絶大な人気を博し、珍重され、もてはやされている。 色のめずらしさもさることながら、中心に小さな白い星が灯っており、その消え入りそうなはかなさが人々を魅了した。出どころは、隣国のイグだと言われる。 しかし以前、イグでダイヤが採れるという話はなかった。 イグの王家が滅びて二十年。代わってまとめようとしたユニウス王も亡くなり、今や全土が完全な無法地帯と化した。他国からも山賊や盗賊が入り込み、好き勝手に荒らしまくっている。 王宮跡からも宝物が盗み出されていた。紫のダイヤは、その中にあったと言う。とすれば元々はイグ王家の宝だったことになる。 事実であれば、数は限定される。 実際、手に入れるのはひどく難しかった。運が良いか、うまく情報を掴まなければお 目にかかれない。その上で法外な金を積み、やっと買い求めることが出来る。 こうして『紫色のダイヤモンド』は羨望の的となった。負けず嫌いの貴族たちはやっきになって探し歩き、追い求めた。滅びた隣国の王家に払う敬意も、盗品かも知れないというやましさも、彼らの頭にはなかった。 「百五十万Gかあ」 改めて手配書を眺め、ディアンは唸る。 「それだけありゃ、遊んで暮らせるよな」 「お前にゃ無理だよ」 署長はせせら笑った。 「名うての賞金稼ぎたちが目の色変えて追っても、一向に足取りの掴めん奴だからな。第一、姿はおろか手の指一本見た者はいない」 「それ、不思議だよね」 ディアンは吸いかけの葉巻に手を伸ばす。取り上げる前にぴしゃりと叩かれ、顔をしかめた。 「貴族たちは、どうしてダイヤを見張っていないんだろ」 「見張っているさ、あきれるほどの大人数で。寝ずの番まで置いている」 「えっ? だったら………」 「ダイヤを懐に抱えた奴を真ん中に置いて、周りを十重二十重に囲んだ家もある。表にはがっちり鍵をかけて。それでも、盗られた」 「なぁんでぇ?」 「解るくらいなら捕まえとるわ。そこにいた者は口を揃えて、『誰かが入ってきたのは知っている。それから先どうしたか、さっぱり覚えていない』と言うんだからな」 「凄いや! まるで手品だ!」 ディアンは手を叩く。 「いや、手品と言うより……」 そこまで言って、言葉は止まった。 「……」 そのまま、ひどく真面目な顔になる。 「手品と言うより? 何だ?」 「……あ、ううん。何でもない」 笑顔を作り、手を横に振った。 「だからよ。腕もなけりゃ頭もないお前さんじゃ、到底相手にならんのさ」 「失敬な。腕がないのは認めるけど、オレ、頭は結構キレるんだぜ」 「どうだか」 そこへ 「ディアン?」 入口で、女の声がした。 「ああよかった。やっと見つけたわ」 署長と二人ふり向けば、逆光を受けたドレス姿が立っていた。日傘をさし、金髪を乱れなく結い上げている。 「これは、クラベジナ伯爵夫人」 署長が誰何するより早く、ディアンが応じた。机からぴょんと飛び降り、女の前に膝をつく。 「エスカローラと呼んでと……言っているのに」 女は遠慮がちに一歩だけ中へ入る。冴えた青い瞳の下に、泣きぼくろがあった。 「失礼しました、エスカローラ」 ディアンは馴れた様子で彼女の手を取り、唇を寄せた。署長は、目を丸くする。 「あなたに会うのは大変だわ。どうしてお家を教えてくれないの?」 「むさくるしい処ですから、お目を汚してはいけないと思いまして」 ディアンはやわらかにほほえむ。 「このごろは待っていてもなかなか来てくれないじゃない。お茶会のお友達も淋しがっていてよ」 「申し訳ございません。ヤボ用が重なりまし て……」 「嘘」 「は?」 「先週、パルマ公爵家の詩文の会にはいらしたくせに。サリシェ男爵夫人のお伴で」 「あ……。それは」 「わたくしより、あんなお婆さんがいいの?」 「そういうことではございません。けれど、あの方も日頃良くして下さるので、無下にお断りするわけにもいかなかったのです」 「そう……」 女は長いまつ毛をしばたたかせた。 ディアンは彼女の背をそっと押し、もう一歩中へ招き入れる。日傘を受けとり、丁寧にたたんだ。 「それで、本日は? わたくしに文句をおっしゃろうと、ここまでお運びに?」 「ちがうわ」 エスカローラはぷんと口をとがらせる。 「あさって、貴族会主催の夜会がありますの。そこへ同伴して頂けないかしら」 「ご主人は」 「ぎっくり腰で動けないのよ。年寄りは困るわ」 「ですが……そのような場に、わたくし如き下賤の者が」 「あなたをそんな風に見る人はいないでしょう?」 そう言って、片目をつぶる。 「それにね。その夜会にはほとんどのご婦人が出席なさるの。だからめぼしい殿方で空いている人などいないのよ」 「めずらしいですね。以前、儀礼的で退屈だから、女性はほとんどお出にならないと伺いましたが」 「ええ。それがね……」 話し出そうとする彼女の前に、ディアンは軽く手をかざした。 そして後ろをふり向き 「署長」 「えっ?」 「ご婦人に椅子を。それと、何か飲み物を差し上げてくれないか」 さらりと言い渡した。 「え……」 品の良い物言いだった。 洗練され、貴公子然とした趣きがある。 「……あ、は、はい、ただいま」 気がつけば、署長は座っていた椅子をあたふたと運んでいた。 「あら……申し訳ないわ」 口先だけそう言って、エスカローラは腰をおろした。 「いつの頃からかしら。その退屈な夜会の余興に、リハルと云う素晴らしい歌い手が現れるようになったの」 署長が腹を揺らして紅茶を持ってきた。うやうやしくエスカローラに手渡すと、ディアンを見て首を傾げた。 「旅の芸人らしいのだけれど、うっとりするほど良いお声なのよ。それで最近は大勢が出席するようになって」 「はあ」 「リハルはね。声だけじゃなく、お顔立ちも、とても……」 エスカローラは頬を赤らめ、俯いた。 「要するに、そのリハルとやらが見たいわけですね」 ディアンは彼女に隠れて舌を打つ。 「そう、そうなの! 一度でも会えないのはくやしいのよ! お願いよディアン、一緒に行って。おこずかいははずむわ」 ディアンは少し間を取り、考えるそぶりをした。 「わかりました。ご主人が回復されるまで、お伴させて頂きます」 「嬉しい!」 心配そうに見守っていた顔が、ぱっと花開いた。 「ありがとう、ディアン」 「何の。こんなことで喜んで頂けるのでしたら、いつでも参じますよ」 「ええ、ええ、本当に嬉しいわ」 話が決まったと見るや、エスカローラはそそくさと立ち上がる。ディアンは慌てて日傘を開いた。 「あさってよ。日暮れに、屋敷の前で待っていて頂戴。いいわね?」 「かしこまりました」 ドレスをひるがえして走り去る。ディアンが後ろ姿に頭を下げていると、ほどなく馬車の動き出す音が聞こえた。 「……へ! なぁにが素晴らしい歌い手だよ。ちゃらちゃらしやがって」 入口にもたれて毒づけば 「ディアン!」 後ろから、罵声が飛んできた。 「貴様あ! よくもわしを顎で使ったな!」 「あ? ああ! ごめんごめん。単にその場の成り行きよ、なりゆき」 両手を大きく回し、愛想笑いをふりまく。 「尊敬致しておりますよ、署長ドノ」 思いついたように椅子を運び始めた。 「黙れ! ここまで腐った奴とは知らなかったぞ! この、ハエ野郎!」 ディアンから椅子をひったくり、乱暴に腰かける。思い切り葉巻をふかした。 「ハエ野郎? 何それ」 「美味そうなものにたかって、甘い汁を吸ってるってことだ」 「はは。そういう意味なら蝶々と言ってよ。お花たちの方でボクを呼ぶんだから」 「馬鹿が!」 ディアンはエスカローラの残した紅茶を飲み干す。 署長はそっぽを向いて、続けざまに葉巻を 吸った。 「しかし……」 またたく間に吸いおわった葉巻を、裏腹にゆっくりもみ消す。そののち、改めてディアンに言った。 「へんな奴だよな、お前」 「ハエ野郎の次は、ヘンな奴?」 「そうじゃなくて」 傍らに立つ彼を、しげしげと見る。 「何だよ」 「その、ひらひらした見てくれに女どもが寄ってくるのは、まあわかる。だが、物腰までは……」 「物腰?」 「妙に……きりっとしてて。正直、とても下町の悪ガキには見えなかったぞ」 「……それ、褒めてんの?」 「つもりはないんだが」 「ありがとう」 ディアンは笑った。 「署長もその口の悪さ、直した方がいいよ」 「大きなお世話だ」 にらみながらも、彼は頬をゆるませた。 |