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カミュ


  あるおだやかな午下り。
ギリシャの街並を一望出来る小高い丘に、二人の若者が立っていた。
「もう東シベリアに戻るというのか。久しぶりの逢瀬というのに、酒をくみかわす暇もないとは」
一人は、スコーピオンのミロ。
「すまない。早く氷河をみてやりたいのだ」
今一人はアクエリアスのカミュ。共に黄金聖闘士。聖衣は陽光にきらめき、白いマントが風にそよぐ。
「あと少しで青銅の域に達する。聖衣を与えることが出来る」
「ああ、ああ。よく育ったものよ」
ミロの言葉に含まれた揶揄に、カミュは気づきもしない。
「母に会いに海へ潜るため聖闘士になる、と言った時は正直その場で海にたたき込んでやろうかと思ったが…。本当によく育ってくれた。よくわたしの教えを身につけてくれた」
「氷河、ひょうが。昨今のお前はいつもそれだ。俺のことは、もうどうでもいいのか」
「…何?」
その時、丘を少し下った辺りで悲鳴が聞こえた。二人、目をやれば、まだ年端もいかない少年を五、六人の男が追っていた。たちまち捕え、ねじ伏せる。
「よせ。構うな」
身を乗り出すカミュの肩を、ミロが押えた。
「”女”にしようとしているだけだ。大事には至らん」
「しかし」
踏みとどまったものの、カミュは納得しない。
「仕方ないだろう。力なく、地位なき者は組み伏せられる。暗黙の掟だ。お前とて、知っていよう」
「…。あいつら、白銀聖闘士ではないか。あさましい…」
吐き捨てるようにカミュは言う。行為は続いていた。
「”婚姻”の相手がいないか、めんどうなのだろう。かと言って欲望は止められん、というところさ」
「……」
 聖闘士は家庭を持たない。百戦にまみえる身に、心残りがあってはならないからである。女性との間に子は作るが、以後は関らない。不文律であった。
 しかし、心と肌を求めるのは抑制出来ない。そのために「婚姻」と云う制度がある。聖闘士同志で、契りを結ぶのである。それは双方が承諾し、教皇にも許可を得る。「婚姻」により結ばれていれば、精神的、肉体的に癒し合うことが認められる。
 また、「婚姻」を結んだ聖闘士に、他の聖闘士は接触することを許されない。古くから伝わる、崇高なならわしであった。
「−−−なあ、カミュ」
未だ憤懣やるかたない様子の彼に、ミロが言う。
「俺と…契りを交わす気にはなれないか」
「ミロ」
「俺とお前なら、誰はばかることもない。俺は、お前と正式なつながりを持っておきたいんだ」
「……」
「お前が欲しい。それはよくわかっているだろう? 俺はお前が弟子にご執心なだけで… それだけのことが、ひどく苛つく」
「ミロ。やめてくれ」
言葉と共に踏み込むミロから下がり、カミュは制した。
「わたしは君と友でいたい。ずっと。だが、それ以上は望まぬ。いや…なりたくない」
「カミュ…」
「ミロよ。わたしは君との間を大切にしたい。だからこそ、体をまじえたくはないのだ。それこそ…よくわかってくれていると思ったが」
それだけ言って、カミュはふわりとマントを翻した。
「さらば ミロ。また会おう」
そのまま足早に丘を昇る。ほどなく、姿は見えなくなった。
「ちえっ…」
ミロは小石を蹴る。ころころと転がり、行為に夢中の聖闘士達が顔を上げた。
「貴様ら! もっと人目のない処でやれ!!」
一喝すると、おたおたその場から散ろうとする。尻目に、ミロも踵を返した。


 それから、およそ一年。
カミュとミロは、再び聖域で顔を合わせた。それは、心楽しい逢瀬ではなかった。
「青銅聖闘士の反乱、か。たかがそれしきのことで我ら黄金聖闘士に召集をかけるとは。教皇ももうろくしたかな」
謁見の時を待つ間、カミュ相手にミロがぼやく。そのカミュは重い表情で口を閉ざしている。
「ああ…」
察して、ミロは肩を叩いた。
「案ずることはない。キグナスは、師であるお前が横面の二、三発もはって連れ帰れば済むさ」
そう言われても、カミュの顔付きは固かった。
「アクエリアス殿。スコーピオン殿」
教皇の側近が歩み寄り、膝をついた。
「お待たせ致しました。どうぞこちらへ」

 通された大広間には、既にずらりと聖闘士達が集っていた。
白銀聖闘士数十名。そして十二名の黄金聖闘士の内、アリエスとジェミニ、ライブラ、サジタリアスを除く七星座。他に警護の兵が多数。滅多にない、壮観な眺めであった。
「揃ったようだな」
ミロとカミュが位置につくのを見届け、教皇アーレスがおごそかに言った。
「このたびのこと、皆も存じておろう。青銅聖闘士数名による、聖域への反逆だ」
場は静まり返り、しわぶきひとつ聞こえない。
「とるに足らぬと構えていたが、そうたやすくはなかったらしい。白銀聖闘士までが彼らによって命を落とした」
ざわ、と初めて波が立った。
「もう甘い顔は出来ぬ。この聖域の威信にかけて、全力で事に当たろうと思う。場合によっては黄金聖闘士の諸君にも、動いてもらわねばならん」
金の聖衣をまとう者達は、互いに顔を見合わせた。
「教皇」
その中で一人、カミュが進み出た。
「その節は、このアクエリアスのカミュにお任せを」
「何」
「カミュ!」
ミロが、後ろから腕を引く。カミュは退らない。
「その青銅聖闘士の中には、わたくしが教えた氷… キグナスもおります。師としての責任において必ずや改心させ、連れ戻します。連れ戻し、師弟揃いまして、この聖域にお詫び申し上げたく…」
「師としての責任…か」
アーレスは、愉快そうに笑った。
「確かに、それは追及せねばならんな」
喉の奥で、笑い続ける。真意をはかりかね、カミュは次の言葉を出せずにいた。
「力だけ与え、この聖域への忠誠を教え込まなかった師としての責、軽からず。さて、カミュよ。どう始末をつける」
「…は?」
「弟子と雁首揃えて詫びに来れば、それで済むと…思うてはおるまいな」
「……」
「−−−白銀並びに黄金聖闘士の衆よ」
カミュとの会話を離れ、アーレスは他へ声を振り向けた。
「聖闘士としてこの聖域にそむき、あまつさえ白銀聖闘士を弑するなど、許され難し。死をもってあがなうこそ道理。そうは思わぬか」
「仰せの通り」
デスマスクが、声高に答えた。
「うち捨ててはあとあと禍根が残りましょう。皆のみせしめとなるよう、始末することですな」
「左様。容赦なく打ちのめすべき」
シュラが横から口を添える。
「……」
カミュは拳を震わせる。だが、異議を唱える声はなかった。
「で… では…」
うなだれ、その末になお言上する。
「では氷河を討つ役目、わたくしに仰せつけ下さい! 師として、せめて… いや、師であるわたしに討たれることで、罪の深さを思い知らせてやりたいと存じます。是非!」
その声は、懇願に聞こえた。ミロは小さく首を振り、カミュの腕を放した。
「よかろう。 …と、言いたいところだが」
「教皇!」
「そなた、そう進言出来る立場か。よく考えよ」
「……?」
「先程の、師としての責任はどう取る」
「それは…。ですからわたくし自ら氷河を討つことで…」
「その言葉、信じられるものかな。討ったと見せて逃がすか、あるいはキグナスに加担するか…」
「教皇…!」
カミュは、怒りをあらわにした。
「いかに教皇といえど、今の言葉、聞き捨てなりません!! このわたしが…人もあろうに黄金聖闘士たるカミュがそのような卑劣な真似をするなどと!! わたしは誓って…」
「−−−いや。いくら言い立てても、証しにはならないよ」
カミュの激高を、妙にけだる気な声が止めた。
「君は氷の聖闘士。誰よりもクールで冷静と言われているが…この場合、それをそのままあてはめるわけにはいかない」
魚座、ピスケスのアフロディーテ。
「ほんの子供だったキグナスに心血を注ぎ、聖衣を得るまでに育て上げた。何年もかけて。そのキグナスを討つ…。果してクールに徹し切れるものかな」
「何が言いたい、アフロディーテ」
カミュはアフロディーテに詰め寄らんばかりである。ミロは苦々しく、それを見守る。
「ああ。わかった。ピスケスよ、アクエリアスよ」
なだめる如く、アーレスが割って入った。
「それぞれの言い分は、よくわかった。カミュにキグナスを討たせるかは、まずカミュがその責を負ったあとのこととしよう。そのための、事を施そうではないか」
「事を…施す?」
カミュの細い眉が寄った。
「この場に在る黄金聖闘士全員により、カミュへ罰を与える。青銅聖闘士が受けるのと、同じだけの罰を」
「…教皇! それは…!」
たまらず、ついにミロが声を上げる。それは、アイオリアによって制された。 そのミロに向かって、アーレスは続ける。
「無論、殺してはならぬ。たかが青銅聖闘士と黄金聖闘士では、釣り合いがとれんからな」
「…つまり…カミュ殿にまずはこの場で罪を償えと?」
アフロディーテが言った。指で薔薇を弄んでいる。
「その通り」
「殺しさえしなければ、何をしてもよろしいのか?」
デスマスクが、目を光らせた。
「そうだ。逆に言えば、他の者はカミュを罰することで、聖域への忠誠を示すことが出来る」
「ば…馬鹿なっ!」
歯がみし、飛び出さんばかりのミロをアイオリアとアルデバランが止めている。その前に立つカミュは、ひと言も発しない。
「そいつはいい」
デスマスクが笑い混じりに続けた。
「鼻をそごうか耳をそごうか。それとも両手両足の指を叩き潰そうか」
「悪趣味な…」
シュラが鼻で笑った。
「異存はないな」
アーレスは一同を見渡した。
「教皇!」
それまで黙っていたアルデバランが進み出る。
「全員と…おっしゃられたが…わたくしは遠慮させて頂く。カミュ殿に私怨はない」
「聞いておらぬかタウラス。これは私怨ではない」
「しかし…」
「やらぬとあれば、そなた聖域への反逆に何の怒りもないと見てよいのだな。即ち、謀反を容認すると」
「そ…そんな!」
アルデバランは詰まり、うろたえる。
「教皇」
その彼を庇うかのように、アイオリアが言った。
「わたくしとアルデバラン殿は加担致しません。我々の分は、他の方々にお任せします」
目で、アルデバランに了解を求める。
「委託すると言うか。まあ、それはよかろう」
「そうだよな。身につまされて出来んだろうな」
デスマスクが野次る。キッと睨み、しかし何も言わずにアイオリアは退いた。
「−−−わたしも、そちらに加えて頂く」
目を閉じ、無表情のままシャカが言った。
「たかだか青銅聖闘士の取り沙汰に、この指一本とて動かすのは大儀」
「−−−スコーピオンのミロ。そなたは」
アーレスは皆の様子を見渡して言う。ミロは怒りの表情のまま
「言うに及ばん!!」
床を蹴り、アイオリア達の並びへと下がった。
「だが、この場を去るのは許さんぞ。それはわかっておろうな」
アーレスは、つけ加えた。そして最後に
「カミュよ。…よいな」
「は…」
カミュは俯き、目をしばたたかせ、ゆっくりと閉じる。
「ご随意に…」
その場で、膝を折った。
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